
〜藤子不二雄Aブラック・ユーモアの歴史〜
昭和43年(1968年)ビッグコミック11月号に
「黒イせぇるすまん」が掲載された。
これまでの藤子マンガの常識を覆すその作品の印象は、終始一貫してドス黒く、
異様で、けっして救われる事のないなんとも奇妙な感覚を受けるものであった。
それまでも怪奇・オカルト物はしばしば描かれることはあったが、
はっきりと”ブラック”と呼べる物はこれが最初の作品である。
その翌年の昭和44年には、
「黒ベエ」などの少年向き怪奇・オカルト物、
「狂人軍」「変コレクションシリーズ」などの同じく少年向きナンセンス・ギャグを連発し、
「不思議町怪奇通り」の様な怪奇ブラックや、
「B・Jブルース」の様な主人公の心理描写を主眼とした旅行記物も発表し、
あらゆるジャンルの作品が実験的な意味も含めて吹き出る年となった。
そして同年10月からは「黒イせぇるすまん」の連載も始まる。
昭和45年になると、「夢魔子」「ぶきみな5週間」などの
より洗練されたブラック・ユーモア作品や、
「北京填鴨式」「マグリットの石」「水中花」の様に
その主人公の異常な精神状態をテーマとする傑作も登場し、
画風もより劇画調になり、よりブラック・ユーモア作家としての一面が押し出される事になる。
昭和46年には引き続き
「マボロシ変太夫」のような少年向きナンセンス・ギャグ作品や、
「赤か黒か」「Q・Eマーチ」の様な旅行記物が描かれるが、
「わが分裂の花咲ける時」「万年青」「明日は日曜日そして明後日も」
などの作品で藤子ブラックユーモアはより完成され頂点を極める事になる。
それらの作品を読み終えた後のなんともいえない複雑な感覚は、
いつまでも脳裏にこびついて離れないインパクトを備えていた。
しかしこれらの作品群は単発や短期が多く、当時は決して認知度は高くなかった。
そんな状況から、今までの実験的な成果と少年漫画家としての側面から、
昭和47年週刊少年チャンピオンにおいて
「魔太郎がくる!!」の連載が始まる。
この作品はブラック・ユーモアというよりは怪奇・オカルト色が強いが、
「このうらみはらさでおくべきか!!」のセリフは一世を風靡し、
ブラック作家としての認知度を一気に高めた。
同年には「不器用な理髪師」「なにもしない課」などのブラック・ユーモアもいつくか発表さている。
昭和48年には「番外社員」「恐喝丸ユスリ商会」
などのより劇画風の裏の世界を黒々しく描く大人向けブラック作品を発表。
「戯れ男」女性誌に登場した「愛ぬすびと」などの、作品全体にいつも影がつきまとい、
虚無感に苛まされ、それでいて読ませる秀逸な作品群も描かれて行く事になるが、
しだいに怪奇・オカルト色の強い大人向け作品は徐々にパワーも落ち影をひそめて行く事になる。
昭和49年には大人向けブラック作品も「戯れ師」と、
昨年から引き継がれた女性誌路線の「愛たずねびと」を描くだけに止まり、
しだいに「魔太郎」パワーも衰えていく。
そして昭和50年「ブラック商会変奇郎」が発表される。
少年向けブラック作品の傑作であり、より洗練された作品である。
しかしこの年以降には、大人向けブラック作品はほとんど描かれなくなってしまう。
一連の流れの中で、数々の大人向け作品・ブラック作品の実験的でしかも意欲的な試みは、
ここで一つの完成と到達を見る事になる。
川路 康裕 (Yasuhiro Kawaji) info@ffgallery.com
新規掲載日-1998.02.05-
最終更新日-1998.02.05-
